大分建設新聞

インタビュー

末廣 理さん(豊後大野水利耕地事務所長)

2024年04月25日
1989年入庁。北部振興局農林基盤部、東部振興局日出水利耕地事務所、県農村整備計画課、西部振興局農林基盤部などを経て4月から現職。
 西部振興局から豊肥振興局豊後大野水利耕地事務所に異動して3週間。「現場を回りたいところだが、打ち合わせに追われている」と言う末廣理さん。豊後大野市は小学6年生から中学3年生の夏までを過ごしたことがあるが、赴任するのは初めてのこと。住まいのある日田市から車で約2時間かけて通勤するが、いよいよ単身生活がスタートする。「西部局では農林基盤部のほか総務部と地域創生部がワンフロアなので総勢40人の中だったが、ここでは13人と比較的少ない人数だ」と働く環境は変化した。
 同事務所では、豊後大野市の農業農村整備事業(農業水利施設保全合理化17地区、水田畑地化基盤整備3地区、中山間地域総合整備2地区、ため池など2地区ほか)の業務を担当している。中でも重視する事業の一つ目は、水路の管理で「管内の用水路は昭和初期までに造ったものばかりなので老朽化が激しくなっている。本当に悪いところから順次改修を行っている」。二つ目は、農地の大区画化・畑地化を推進するほ場整備、三つ目は、豪雨などで決壊する恐れのあるため池改修を挙げる。地元の要望を聞きながらの事業において反応は気になるところ。「ため池の漏水を止めることで、水量が確保でき細部まで水が届くようになった」という感謝の言葉を糧にする。
 ため池の廃止だけでなく、下流域に人家があるところでは水路や管理施設の整備なども重要になる。
 末廣さんは、災害対応に豊富な経験を持つ。記憶に残る一つに、九重町を中心とする「令和2年7月豪雨災害」がある。水分峠付近で線状降水帯が発生、由布市や九重町、玖珠町、日田市に甚大な被害が発生。国道210号の被災は50カ所以上、日田市天瀬町赤岩地区では道路が陥没し、続く豪雨で車道が100㍍にわたり崩壊、耕地災害も多数の箇所に及んだ。復旧に当たっては昨年度までにようやく復旧工事の発注がかなったところだ。
 この時、西部振興局に在籍していた末廣さんは「施工業者が少ないこともあり、なかなか受注に至らない中、昨年3月までにやっと全てを受注してもらえた。本来であれば3年で完了する予定が、繰り越して今年度全てを復旧する見通しだ」と安堵の表情を浮かべる。
 甚大な被害から立ち上がる古巣の様子を、今は遠くから見守っている末廣さん。県庁で災害担当を務めていた1997~99年には、ここ豊後大野でも浸水や土砂崩れなどがあったことを忘れない。急傾斜地崩壊対策事業や砂防事業が進む豊後大野でも、農業農村が持続的に発展するため災害がないことを祈っていると話す。
 建設業に対しては「西部局時代は被害が大きいと受注してもらえないこともあり、隣の日田に応援してもらったり、協会に無理を言って受注してもらったこともあり感謝している。今後も発注計画を示してご協力をお願いしたい」と述べた。
 休日は日田市内や、豊後大野市に来てからは原尻の滝のチューリップ、道の駅きよかわのサクラなどを眺めながら散歩するのが楽しみな57歳。
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