大分建設新聞

インタビュー

柳井 孝則さん(中部振興局長)

2024年05月28日
大分上野丘高校卒業後、筑波大学を卒業して同大大学院環境科学研究科修了。1992年県庁入庁。佐伯南郡地方振興局(現・南部振興局)を振り出しに主に福祉保健畑を歩き、4月に障害福祉課長から現職。56歳。
 高校時代に大分市内の道路が渋滞していることを憂いて、その解消策はないものかと考え都市計画の概念を知った柳井孝則局長。生活者としての視点からだった。大学の進学先も都市計画が学べる大学として筑波大学を選択。県庁に入ったのは、当時人口が120万人を超えていた大分県の規模感からみて、街づくりや地域づくりに携われるという思いがあった。
 管内は大分市、由布市、臼杵市、津久見市の4市で、その人口は県内の半分を占めているが過疎地区もある。管内の印象については「観光地だったり農業地帯だったりして、産業構成もそれぞれ特徴があるという点で、やりがいとともに責任の重さも感じている」という。
 着任後、職員に対して話す機会があった。その際「できるだけ現場に足を運んで、よく見て聞いてほしい。そして一人で考えずに皆で話し合って検討してもらいたい」と呼び掛けたが、自らも現場に出掛けようと努めている。
 注目の事業として挙げるのは、津久見市長目地区で樹園地の基盤整備事業。既に着手しており、6・3㌶ある耕作放棄地の樹木を伐採し斜面を平地化。複数の意欲的な農家が参入して、柑橘類の品種であるセミノールを栽培する樹園地再生である。2024年度末には整備が終了する予定だ。
 大分大学医学部周辺の農地で行われていた基盤整備が終わって、菊栽培の大規模ハウスが建ち始めており、事業採択を待つばかり。複数地権者の土地を集約して集積率を高めた事業で、一つの企業が農地を借り受けて参入する。「昨年は管内で企業の農業参入が4社あり、大規模な農業経営が目立ってきている」と話す。
 30年以上になる県職員生活で思い出深いのは、在籍が長かった医療政策課時代の業務という。1995年の阪神淡路大震災が発生した翌年には、災害時における初期救急医療体制の充実強化を図るための医療機関である災害拠点病院の選定に携わる。その後、災害時の情報システムを整備。さらに医師、看護師、業務調整員で構成する災害派遣医療チーム(DMAT)の立ち上げに関わり、2007年にはその第1号の認証式に立ち会えた。
 建設業界に対しては「社会インフラを整備していただいて感謝している。今後は高度成長期に造られた建物の建て替えが必要になってくるが、人口規模が縮小するので用途の複合化と集約化が必要だ。災害時には避難所になるように施設が増えてほしい」と期待する。元来、都市計画の専門家を目指していただけに、建設業界に対するまなざしは温かい。
 妻と男の子2人の4人家族。メタボを指摘されてから始めたランニングが趣味。マラソン大会に出場したことも。また熱心なトリニータのサポーターで、試合の度に家族で会場に足を運んでいる。
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