大分建設新聞

四方山

永田町の震源

2024年08月20日
 「ほら吹き」から「神様」になった地震学者がいる。今村明恒(1870~1948)である。関東大震災が起きる20年近く前に、「50年以内に大地震が東京を襲う」という趣旨の論文を発表し、大きな反響を呼んだ。だが、師匠に当たる東京帝国大教授が「浮説」と猛批判したことで、世間から「ほら吹きの今村」とバッシングされた▼ところが、実際に大地震が起きたことから、今度は一躍「地震予測の神様」にまつり上げられ、師匠に代わって東京帝大の教授に就いた。世間の評価とは、何とも移ろいやすいものだ。地震予知は可能―というのが今村の考えだった。実際、その後もいくつかの大地震を予測している。だが、いずれも終戦前後の混乱期であり、予知が防災に生かされることはなかった▼8日に日向灘で起きたマグニチュード7・1の地震。それに続く、政府による南海トラフ地震の臨時情報には驚かされた。前代未聞の巨大地震注意報である。影響は大きく県内でも津波を警戒して大分市の田ノ浦ビーチなどいくつかの海水浴場が閉鎖された。幸い何ごともなく、防災対応の呼び掛けは15日夕方に終了した▼大きな激震が襲ったのは、南海トラフの想定震源域ではなく、政府のある東京・永田町だった。あまりにも突然すぎる岸田文雄首相の自民党総裁選への不出馬表明。その決断を明かしたのは14日のこと。今を生きる日本人が忘れてはならない「終戦の日」の前日である。失礼ながら不謹慎にも感じられた▼もっと言えば、南海トラフ地震の防災対応の期間中である。にもかかわらず、今後の政局を見通す中で、この日を選んだのだろう。「公」よりも「私」を優先させた格好だ。結局「国民生活の安全・安心な暮らしを守り抜く」と言いながら、言葉だけだったのかとも思えてくる。(熊)
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