田中正造の覚悟
2024年11月26日
児童文学者の新見南吉の童話『ごんぎつね』といえば、いまでも小学校の国語の教科書や副読本の教材として使われている。教員をしている知人に行き会うと、「最近の生徒にとって、物語の舞台である昔の農村の暮らしは、全く別世界の話。やさしい話なのに、理解させるのが一苦労なんだよ」と嘆いた▼例えば、魚を入れる「びく」、かつての女性の習俗だった「お歯黒」という言葉が出てくると、子どもたちの目は点になるという。「井戸」についてでさえ、水道水が当たり前の時代、知らない子がほとんどだとも。令和の時代、死語となっているのだろう。「井戸塀政治家」という言葉もとんと聞かなくなった▼政治活動に身を挺するあまり、全ての資産を使い果たし、残ったのは井戸と塀だけだった―という例えである。引き合いに出されるのは、明治時代の立憲政治の黎明期に衆院議員を務めた栃木県選出の田中正造である。地元の足尾銅山から流れ出た鉱毒に苦しむ農民らの救済に生涯をささげたことで知られる▼1913年、知人宅で倒れそのまま亡くなった。自宅などは人手に渡り、残されたのは書きかけの原稿などが入った小袋一つだけだったと伝わる。井戸も塀も残さず困窮の中で生涯を閉じた。第1次石破内閣の石破茂首相と閣僚計20人の保有資産が公開された。平均は7422万円と報じられた▼日本人の2人以上世帯の平均保有資産額は1563万円(金融広報中央委員会、2021年)とされる。なかなかの金満ぶりだが、世襲議員が多い中、その額に目くじらを立てるのは無粋であろう。ただ、国難の時代にあって、保有資産ゼロの正造の言葉に思いを馳せるのは無意味ではあるまい▼「一身において、公の為、人の為、正義の為に全力を尽くし、そして滅びゆく覚悟を持っている」(熊)