大分建設新聞

インタビュー

長野 肇さん(倉敷匠会の棟梁)

2007年11月24日
―倉敷匠会は、棟梁さんたちの集まりだそうですが、どんな会ですか。  長野 上下関係一切なしの職人集団。私が倉敷にいた時につくった会ですが、「倉=家、敷=土地、匠=職人の技」をイメージし、倉敷で産声をあげたという意味を重ね合わせて、つけた名称です。メンバーは、棟梁やそのクラスが倉敷に7人、豊後高田に4人、大分市に3人。棟上げの時には、みんな集まります。  ―長野さん自身は、どんな道を歩んできましたか。  長野 中学を出てから、すぐ大工の修行に入り、豊後高田の建設会社に3年いて、基礎を学んだのですが、さらなる技術向上を目指して、地元を飛び出し、27歳のときに、倉敷に備南建設という会社を設立しました。  ―そこから会がスタートするわけですか?  長野 そう。若い職人と一緒に、職人集団づくりに挑戦したかった。昭和62年に、若手2人と私の3人で会を立ち上げました。家庭の事情で平成9年に豊後高田に帰りました。以来10年。若者育成に取り組みましたがが、多くの若者が、修行の厳しさに耐え切れず去っていきました。職人技術の伝承というのは、難しいものです。それでも、10年かけて、任せられる職人が何人か育ちました。それまでは、伝統技法の建築のため、建てるのはせいぜい1年に1棟程度。増改築の仕事などをしながら、しのいできました。今は9月に2棟、10月に1棟、契約直前が1棟と少しずつ、腕を振るう機会が増えてます。  ―伝統の本格木造住宅にこだわるわけは、何でしょう?  長野 確かに、建売住宅やそれに近い住宅を手がけて、実績をあげる方が楽でしょう。でも、私は棟梁として、恥ずかしくない仕事がしたいのです。職人気質とでもいうのかな。地震で壊れるのは、50~100年近く経った家でしょう。日本住宅でも、しっかりした造りと建て方でメンテナンスをすれば、100年以上もちます。ただ、頑固に古いものにこだわるのでなく、新しいもので取り入れたら便利になるだろうと思うものは、研究して取り入れてますよ。頑固ですが、頭は固くないつもりです。  ―これからも、こだわり続けますか? 長野 お客様は、自分の思い通りの家を造りたいのです。もちろんお客様には技術がありませんから、我々に委託されるわけです。その思いを達成するための技術は、最高のものでなくてはならないという、こだわりがあります。 (倉敷匠会 豊後高田市会TEL0978〈24〉0530)




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