大分建設新聞

インタビュー

中山愛依子さん(県生コン工業組合豊肥技術センター)

2010年06月02日
ただただ耐えて、一緒になれる日を待った。「両親からは、ひどく反対されました。なので、耐えて耐えて、その時をじっと待ちました」―というと、結婚話のように聞こえるが、何と相手はコンクリートだった。  中学2年の時、テレビの画面に阪神淡路大震災の被災地が何度も映し出された。「ショックでした。子ども心に、あんなに丈夫なはずのビルや橋がバタバタと倒れるなんて、と思えて。一番強く感じたのは〝どうしてこうなったんだろう〟という疑問」。工業高校への進学は、親に反対された。普通校に通いながら、大学だけはその道に進みたいと願った。「そんなに勉強したいならば」と、大学進学時は、親も折れた。作業着で仕事をするということに、祖父母は未だ抵抗があるようだが、両親は分かってくれているのでは、という。「唯一、強い関心を抱いたのがコンクリートだった」ことを理解してもらえたのだろう。  だが、就職では男女差別を感じた。生コン工場でしか働きたくないという強い願いも、電話1本で女性とわかると「採用は終了しました」と何度となく言われた。それでもあきらめなかった。「60歳にもなる先生が、求人票を抱えて〝あったぞ〟とわざわざ走ってきてくれたことを今でも思い出します」。  一念を通し就職した先では、その差別はプラスに働いた。「職場では大事にされていいね」と上司に言われた。何ごとも、きちんと前向きな力に変えられるのが、中山さんの強みだ。  出身は佐賀県。大学は福岡。コンクリートにこだわり抜いて、たどり着いた中津市で5年半ほど勤務した後、現在の県生コンクリート工業組合豊肥技術センターへ。きっかけは同センターの穴見所長のスカウトとか。「まじめな第一印象がよかった。根っからコンクリート好きで、なにより女性らしいきめ細かさで裏方を支えてくれるのではと期待した」と所長。  中山さんが自己紹介するとき、添える言葉は「コンクリートと結婚しました」だ。近い将来、コンクリートに対する信頼性を高めた功績で「大分のコンクリートの母」と呼ばれる日もくるだろう。
 


 
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