大分建設新聞

インタビュー

宮﨑 眞一さん(臼杵土木事務所長)

2015年06月25日
 県臼杵土木事務所勤務は、昭和58年からの3年間に続いて2回目。「あの頃は、津久見市四浦や長目など半島先端部の集落に道路が通じていなかったため、何はともあれこれらの集落に道路をつなごうとしていた。そうしたときに、大元まで開通していた四浦日代線をさらに間元まで延伸することになり、西泊トンネルを掘削した。その工事の発注までをした」と当時を懐かしむ。
 こうして管内の道路網は一応整備されたが、主要幹線の国道217号一つをとっても、狭くて線形不良の箇所が多い。「とにかく周辺部道路の整備を優先した結果、今度は、そのつながった道路の走行性や安全性を考えて整備する必要が出てきた。それが30年度の一部供用開始を目指して進めている国道217号平岩松崎バイパスであったり、四浦日代線仙水工区の2車線化、大泊浜徳浦線深江工区の〈仮称〉新深江トンネル(L=340㍍)の掘削などだ」と事業の現状を説明。
 「道路以外では、30年代初めの供用開始を目指す臼杵港フェリー岸壁移転、災害未然防止のための臼杵川と末広川の整備など。事務所の課題はいくつもあるが、一つ一つ着実にやっていきたい」と語る。
 県職員になって36年。前半は河川・砂防。後半は主に道路事業に携わってきた宮﨑さんは、中津土木に勤務していた平成5年、梅雨前線豪雨、台風13号による風倒木被害が強く印象に残っているそうで、「管内の道路が分断され、災害発生から1ヵ月は休日返上で走り回り、家庭を顧みない日が続いた」と思い出を語る。
 「一時、公共工事が社会的バッシングを受けた影響で、若者が建設業に入職しづらくなったようだ。さらに県内の工業高校で土木科があるのは大分工業だけ。良い物を造って後世に残すのが、我々に課せられた役目。業界も社会資本整備の一翼を担う自覚を持ち、若者が魅力を感じる業界にして欲しい」と期待する。
 「仕事はひとりで抱え込むのではなく、チームワークで」がモットー。職場全体で知恵を出し合い、困ったらすぐに相談できる環境をつくりたいと言う。
週に一度の横笛の練習と晩酌が楽しみ。


略歴
昭和56年、九州工業大学開発土木工学科を卒業して県職員に。豊後高田土木所長、道路保全整備室長、前任の都市計画課長を経て、今年5月、現職。佐伯市出身。57歳。
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