䑓 博治さん(県立工科短期大学校長)
2020年05月14日
開口一番「1998年の開校前年度の準備室時代から携わっており、開校後は機械系(現組織名)の教授を務めてきた。専門は金型」と、自身の関わりから話し始めた。
「当初は(卒業生の)就職に苦労した。なかなか企業にインパクトのあるPRができない中で、失われた10年と呼ばれる時代と重なった」と当時を振り返り、「担当教員は企業に本当に積極的に足を運び、道を拓いてくれた」と労いの言葉をかけた。
2004年に中津市にダイハツが進出し、製造業の環境が良くなってきた。
「中津が変わってきたのもそれからで、学校の前の中津高田線も当時は片側1車線で周りは田んぼばかりだった」と、ダイハツ進出がターニングポイントになったと見る。
その頃、大学校改革に携わり、4科制でスタートした学校を3系7コースに改編した。
それは、「自動車産業の進出に伴い、工場の中で必要とされる技術者を輩出できたら、という思いを現実のものにするためだった」と、振り返る。
さらに、7つのコースは、将来自分の働く場所=職域をイメージできる名前にした。
学生と企業の間に教員が入り、企業から必要とされる人材を汲み取り、学生にフィードバックする際、その必要性を意識した勉強に取り組ませる。
その結果、企業が求める人材を送り込む、というサイクルを作ってきた。
結果として『学生を創る』ことができるようになり、今は夏休み前に内定をもらえるようになったのが改革の成果だ。
建築業界に対しては、「県内就職率が65%の中、建築系は70%を超えているが、建築士を目指すだけでは競合も多いので、建築業者の規模やハウスメーカーに適合する学生を育ててきた。また、女子の入学者の多さに着目して、女性活躍を意識した指導に力を入れてきた」と言う。
学生には、目的と問題意識を持たせ、問題発生時には「なぜ。なぜ」を繰り返し、単純に答えを求める前に自分で考える力を身につけさせるようにしている。
発表の機会を多く与えて指導しているのもそのためだ。「これも、1教員に学生6・7人の優位性を生かせる技。ぜひ、採用して欲しい」と熱く語った。
同校は次世代に継承するために、オープンな運営を行っている。
「出口側の戦略は確立できたので、これからは入り口側の戦略に力を入れなければならない」と、次の大きなテーマに挑む。
情報通信網の変化により、企業も働き方も変わっていく社会の中で、人材は不足している。
ビッグデータ、画像処理、進化するロボットなどを扱える学生を育てていくことが昨年から取り組んでいる課題だ。
最後に「自分自身は先頭に立ってコマーシャルを進める。そのために、20数年ぶりにプログラム言語の勉強をしている。小学生にプログラミングやドローンを通して、ものづくりの喜びや楽しみを教えたい」と語り、目先ではなく将来を見据えた夢をエネルギッシュに披露した。
趣味は、スキューバダイビングにキャンピングというアウトドア派。
略歴~ 1985年に職業訓練大学校を卒業し、98年に県立工科短期大学校の講師に、
2006年教授、大分高等技術専門校次長、工科短大企業連携室長、指導部長などを経て、今年4月から現職。58歳。
「当初は(卒業生の)就職に苦労した。なかなか企業にインパクトのあるPRができない中で、失われた10年と呼ばれる時代と重なった」と当時を振り返り、「担当教員は企業に本当に積極的に足を運び、道を拓いてくれた」と労いの言葉をかけた。
2004年に中津市にダイハツが進出し、製造業の環境が良くなってきた。
「中津が変わってきたのもそれからで、学校の前の中津高田線も当時は片側1車線で周りは田んぼばかりだった」と、ダイハツ進出がターニングポイントになったと見る。
その頃、大学校改革に携わり、4科制でスタートした学校を3系7コースに改編した。
それは、「自動車産業の進出に伴い、工場の中で必要とされる技術者を輩出できたら、という思いを現実のものにするためだった」と、振り返る。
さらに、7つのコースは、将来自分の働く場所=職域をイメージできる名前にした。
学生と企業の間に教員が入り、企業から必要とされる人材を汲み取り、学生にフィードバックする際、その必要性を意識した勉強に取り組ませる。
その結果、企業が求める人材を送り込む、というサイクルを作ってきた。
結果として『学生を創る』ことができるようになり、今は夏休み前に内定をもらえるようになったのが改革の成果だ。
建築業界に対しては、「県内就職率が65%の中、建築系は70%を超えているが、建築士を目指すだけでは競合も多いので、建築業者の規模やハウスメーカーに適合する学生を育ててきた。また、女子の入学者の多さに着目して、女性活躍を意識した指導に力を入れてきた」と言う。
学生には、目的と問題意識を持たせ、問題発生時には「なぜ。なぜ」を繰り返し、単純に答えを求める前に自分で考える力を身につけさせるようにしている。
発表の機会を多く与えて指導しているのもそのためだ。「これも、1教員に学生6・7人の優位性を生かせる技。ぜひ、採用して欲しい」と熱く語った。
同校は次世代に継承するために、オープンな運営を行っている。
「出口側の戦略は確立できたので、これからは入り口側の戦略に力を入れなければならない」と、次の大きなテーマに挑む。
情報通信網の変化により、企業も働き方も変わっていく社会の中で、人材は不足している。
ビッグデータ、画像処理、進化するロボットなどを扱える学生を育てていくことが昨年から取り組んでいる課題だ。
最後に「自分自身は先頭に立ってコマーシャルを進める。そのために、20数年ぶりにプログラム言語の勉強をしている。小学生にプログラミングやドローンを通して、ものづくりの喜びや楽しみを教えたい」と語り、目先ではなく将来を見据えた夢をエネルギッシュに披露した。
趣味は、スキューバダイビングにキャンピングというアウトドア派。
略歴~ 1985年に職業訓練大学校を卒業し、98年に県立工科短期大学校の講師に、
2006年教授、大分高等技術専門校次長、工科短大企業連携室長、指導部長などを経て、今年4月から現職。58歳。